アクセサリーが無くても私たちの生死には何ら問題を及ぼさないのに、何故か着けたくなる…
そこで、人々とアクセサリーの関わりを紐解いてみます。
アクセサリーの起源と歴史と役割
アクセサリーの起源
古代より人の体に樹液や泥などで模様を描いて装飾したのが、アクセサリーの起源と言われています。
貴重な金属が発見される以前、海岸に沿って住んでいた人々は、貝、魚の骨や歯、色の綺麗な小石などをビーズとして用い、多種多様なもので自分自身を飾りました。
内陸に住んでいた人々は、狩猟による動物のあらゆる牙と骨、鳥の羽根、そして時間経過とともに自然に変化していった動物の皮や、植物の蔦などの材料は、彼らの創造力を掻き立てるには充分だったのでしょう。
遊牧民の生活から、土地に根付く農耕民への社会秩序への移行により、古代文明の誕生します。大きな川のほとりに集り農業と畜産に尽力します。これが、川に堆積する金と貴石の発見・ビーズの制作につながっていきます。
そして、それが後に、頭冠、髪飾り、櫛、かんざし、イヤリング、鼻や唇を飾る輪、フィブラ(古代の安全ピン)、ネックレスやブレスレット、アンクレット…と様々なアクセサリーが生まれていきました。
インスピレーションの源は動物と植物の世界でしたが、古代文明によく見られるジオメトリ(円盤、円、円柱、球)は、人々が生み出した創造の始まりの形と言えます。
翡翠の淡い緑、ピンク色の貝殻、白い牙の色など…これらで構成される表現は、きっと豊かで本質的なリアリズムな芸術品だったのでしょう。
絵画や絵画の絵画、彫刻、モザイクタイルの壁画などからも、様々な時代に身に付けられたアクセサリーが垣間見られますよね。
アクセサリーの役割・用途
いかに強い動物を捕獲したか、戦利品を身に着ける事で、勇猛さのアピールし、またそれは自然の恵みに感謝するとともに豊作を祈り、自然と共生する彼らは呪術的意味合いとしても身に着けていました。
また、同じ種族が同じような素材・デザインを身に着ける事で民族アイデンティティを表すものとしても役立ってきました。
先史時代から始まり、最も豊かな衣服や装飾品で死人を葬るという慣習も忘れてはならないひとつです。
文明が生まれた後も、アクセサリーの持つ意味は装飾としてだけでなく、歴史の大部分において、社会階級を表すものとして着用されてきました。
支配階級が生まれると、「奢侈禁止令」(しゃしきんしれい)により特別な者のみに許されるアクセサリーが生み出されます。
また、アフリカの人々がトレードビーズ(物々交換など貨幣としての価値があるビーズ)を身につけていたり、タイの山岳民族は銀貨や金貨をネックレスにしていたり、財産としての役割も大きいと言えます。
御守りとしてのアクセサリー
それらは、「悪を回避して幸運をもたらすためのお守り」という意味を持ちました。
例えば、
御守りとして名高い、「縞模様の石(マジックストーン)」や目玉を持つように見える「チョンジー」などの古代ビーズも、その一つです。
近代におけるアクセサリーの意味
アジアやアフリカの文化、近代に見られる傾向には、金やプラチナ、宝石などの材料の本質的な価値に重点を置かず、ファッションや個々のアイデンティティを表すために、色鮮やかなプラスチックなどが好まれたりと、実に多様な装飾に広がりを見せています。
次の項目では、それを紐解いてみましょう!
日本におけるアクセサリーの関わり
およそ1万年前から2300年前まで続いた縄文時代に装飾品が普及したとされています。
牙や翡翠の勾玉などがアクセサリーとして広く身に着けられました。とはいえ、装飾的な意味合いよりも、呪術的な意味を持つシンボルだったそうです。
弥生時代には丸い玉ビーズを繋げた数珠状のネックレスや材料もガラス、青銅などが使われ始めます。
ところが、理由は後述しますが、古墳時代後半になると装身具文化は影をひそめていきます。
そんな中、「櫛」は日本人にとって古代からかなり重要なものであったようで、縄文時代から木や鹿角などで作られ、古墳時代以降現在に至るまで装飾品として慣習が引き継がれている事は特筆すべき点ですね。
勾玉
勾玉は「狩猟の成功を祈願した豊穣信仰の呪具」として、翡翠などから牙を模したものと考えられています。
驚くことに硬玉を竹と水のみで溜息が出るほど時間をかけて形作られた勾玉は、縄文から弥生時代に掛けて東日本で広まり、古墳時代にジャスパー・瑪瑙・ガラスビーズと材料にも冨み全盛期を迎えます。
日本から装身具がなくなった時代
「古墳時代後半に何故、アクセサリー文化が消えたのか」について。
646年の薄葬令により、古墳の造営や貴金属などの副葬が禁じられるとともに、勾玉などの装身具は「神格化」・「天皇の権威を象徴する祭祀具」とされ、古来より続いていた装身具の習俗は廃れていきました。
奈良・平安時代に入ると十二単などによる色鮮やかで華やかな服飾の変化が起こります。
肌の露出が少なく、長い髪を垂らし、流麗で色彩や香りに美意識が置かれました。
一方、男性は刀や兜などの武具に装飾を施し、アクセサリーを必要としない文化が江戸時代まで続きます。
それは、美しい真珠を身に着ける事に使わず「薬」としてすり潰す、装飾品のない時代がおよそ1100年程続いたのです。
少数派の人々のアクセサリー
とはいえ、その間も外国文化との交流のあったキリシタンの人々やアイヌの人々の間ではガラスビーズなどのネックレスなどは身に着けられていました。
粋な芸術文化の起り
江戸時代に入ると、とうとう、かの世界的に有名な芸術文化が花開きます。
「粋な様」に美意識が置かれ始め、繊細さや豪奢さを求めた日本独自の装飾文化が起ります。
天保の改革による奢侈禁止令の中、象嵌の根付や印籠、煙草入れ、櫛、簪、帯止めなどがこっそりと、目立たないように目立たせる、海外のコレクターがこぞって欲しがる、職人の繊細で美しい技が光る芸術品が生み出されました。
表だって派手で煌びやかな簪などのアクセサリーは、特に芸妓や花魁などのみ身に着ける事ができたのです。
人々とアクセサリーの関わりとは
アクセサリーとは、無くても生死には関わらない、衣食住に不可欠とは決して言えないものですが、こうして見ると、人々の文化と慣習、社会構成、そして歴史にとても深く重要な役割を果たしてきたものなのですね!
アクセサリーを作ろう!
出典: グイドグレゴリエッティ(2018)『jewelry』britannica.com